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ビッグ4は競ってアメリカ全土に基幹路線の開設を行なったが、P社は世界で初めてのスチュワーデス「フライング・ナース」を搭乗させている。
施行された航空郵便法に対応するため新たな組織としてU航空(UAL)が誕生した。
民間航空法の発効は路線の大拡張をもたらし、第二次世界大戦の影響はアメリカ国内の航空輸送に未曾有の大量需要をもたらした。
戦後のUALの経営方針は、「安全」「快適」「定時」「正直」「誠実」の5つに集約されている。
路線のほうは、早々と新たに開都市の路線を開設する申請が民間航空局に出されている。
特に開拓の遅れていた西部、太平洋地域への拡張に力を注いだ。
ホノルル線に就航し、デンバーを基地に路線を集中化させた運航体制を整えている。
ジェット旅客機が開発されたが、UALは開発中のダグラスDCIを8機、総額1億7500万ドル(当時のレートで630億円)で発注して業界を驚かせた。
需要が急速に伸びているハワイ路線をめぐる各社の申請が激しくなり、民間航空局は調整に苦慮する状況で、UALの思惑どおりにはなかなか認められなかった。
参入を果たしてからはハワイ路線に高いシェアを持ち、収益は上がっていたが、赤字に転落したのは規制のせいだ、と考えるようになり、トップは議会に規制を撤廃するよう強く働きかけた。
航空自由化によって、規制のなくなった航空各社にはさまざまな影響が現れた。
UALとAAは、市場を拡大し、サービス面での差別化戦略をとった。
UALは低コストのエアラインであるとともに高サービスを維持しようとして、矛盾した指示が現場で混乱を招くことになった。
またハブ空港と路線構成でのミスマッチと、ホテルやレンタカーなど多角化事業の失敗が足を引っ張り、UALの財務状態は急速に悪化していった。
経営者は企業の再建に奔走するが、うまくいかず、最終的には組合と取引を行う。
労働組合が会社と合意したもので、従業員7万6000人のうち5万4000人が6年間にわたり8.25〜12.7%の賃金カットに応ずる分の合計300億ドルを原資としてU航空の持株会社UALコーポレーションの株式70%を保有して経営権を握るという内容だった。
大きな回り道をしたものの、UALは自由化時代に対応する経営を築きあげることに成功するが、この間に業績面でAに抜かれてしまった。
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